ベルリンの壁の歴史について

ベルリンといえば、ベルリンの壁を思い浮かべる人が多いでしょう。それはベルリンの街に築かれた壁で、ベルリンに住む人々を東西に引き裂いてきました。多くの人はベルリンの壁で街が分断されていたことは知っていると思います。しかし、その歴史的な経緯はあまり知っていないかもしれません。そこで今回はベルリンの壁の建てられた経緯について簡単に説明したいと思います。

ベルリンの壁

第二次世界大戦の敗戦がもたらした東西ドイツの分裂

そもそもベルリンの壁が築かれる原因となったのは、ドイツの第二次世界大戦での敗戦でした。それによってドイツは戦勝国のアメリカ、イギリス、フランス、ソ連によって統治されることになったのです。ただし戦勝国であったソ連と西側諸国の対立を深めていきます。そして戦勝国の統治が終わるとソ連が後ろ盾となった東ドイツ、そして西側諸国が後ろ盾となった西ドイツが成立してしまうのでした。こうしてドイツは西と東に分裂することになったのです。

ベルリンの壁

ベルリンは東ドイツに囲まれた陸の孤島に

ドイツの分裂で大きな問題となったのは首都であるベルリンでした。ベルリンはソ連が統治するドイツ東部に位置しています。しかし首都ベルリンも戦勝国によって分割統治を行ったため、西側諸国が統治する西ベルリンは東ドイツに囲まれた陸の孤島になったのです。この際にベルリン全土の統治をもくろむソ連側によって圧力をかけられますが、西ベルリンは東側に取り込まれることはありませんでした。しかし、こうした状況は大きな問題を生み出したのです。

ベルリンを通して多くの東ドイツの人々が西ドイツに

1952年に東西ドイツの国境は閉鎖されましたが、東西ベルリンの往来は比較的自由でした。東西の境界を越えて通勤をする人もいるなど大きな制限はなかったのです。そのため起きたのが東側に住む人が西側へと移ることでした。およそ300万人程の人々が西側へと流れ、特に優秀な人材の流出が著しかったそうです。こうした人材を流出することを防ぐことが考えられ、その役割を担ったのがベルリンの壁だったのです。

ベルリンの壁

東ドイツからの人々を流出を防ぐためにベルリンの壁を構築

ベルリンの壁が築かれたのは1961年の8月13日に日付が変わった時のこと。突然ベルリン市内の東西境界は封鎖されることになります。そして人々の往来は不可能となり、壁が築かれ始めたのです。こうして築かれた壁は幾度かの改築を経て高く強固なものとなります。また厳重な壁周辺の警備によって東側から西側への逃亡は不可能となったのです。そして1989年の壁崩壊まで、ベルリンの壁は一つの街を分断して、人々の暮らしを切り分けることになったのでした。

 

ベルリンの壁や、壁の現在の状態、そしてベルリンの壁のお勧めの場所については、下記の記事でも紹介しています。

ベルリンの壁はどうなったのか。ベルリンの壁の現在