ベルリンの壁が生み出した廃線「ベルリン-ポツダム線/Stammbahn」

ベルリンの壁は一つの街を二つに引き裂き、多くの悲劇を生み出しました。そんな壁も、1989年のベルリンの壁の崩壊によって、今では街から姿を消しています。しかし壁が取り壊された今でも、全て元どおりに戻ったわけではありません。壁建設によって本来の役割を果たせなくなり、姿を消したものがあります。今回紹介するものもその一つです。それはベルリンとポツダムを結んでいた鉄道路線Stammbahn(シュタムバーン)です。そんなStammbahnについて紹介したいと思います。

ドイツの廃線

Stammbahnの歴史

Stammbahnはベルリンと隣街であるポツダムを繋ぐ鉄道路線でした。その歴史は古く、開通したのは1838年のこと。ドイツで2番目に敷かれた路線であり、当時のベルリンを治めていたプロイセン王国としては初めての鉄道路線でした。このような歴史ある重要な路線でしたが、第二次世界大戦によってその一部が破壊されてしまいます。また戦後は東西ドイツの分裂によって東西に跨がることになったStammbahnは再建されることなく東側で廃止となり、西側のみで運行することになりました。そして1961年にはベルリンの壁が建設されて街と街を繋ぐ役割を失い、1980年に路線は休止となったのです。

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東西に分断されたStammbahn

ベルリンと隣街であるポツダムを繋ぐStammbahnは、ベルリン南東部を抜けてポツダム東部と繋がっていました。今でも残っている区間もありますが、ベルリン中心部のPotsdamer Platz駅からポツダム東部のGriebnitzsee駅までの路線が失われています。その中で旧西側に位置していたPotsdamer Platz駅からDüppel駅までの区間では多くの線路が残されており、その姿を今でも確認できるでしょう。しかし旧東側となったDüppel駅からGriebnitzsee駅の区間では線路は撤去されており、その痕跡を確認することは簡単ではありません。

水色の区間が1980年まで運行していたZehlendorf駅とDüppel駅間の旧西側区間。

紫色がPotsdamer Platz駅からZehlendorf駅間の旧西側区間。

赤色がDüppel駅からGriebnitzsee駅の旧東側区間。現在では線路も撤去されてほとんど何も残っていない区間。

線路など遺構が残る旧西側区間

Stammbahnの訪問でお勧めしたいのはベルリン南東部にあるZehlendorf駅とDüppel駅までの区間。Düppel駅はベルリンの壁のすぐ横に位置しており、そこから先へと伸びる路線は旧東側となったために終点となりました。そんなDüppel駅とZehlendorf駅を結ぶ区間は盲腸線となったのです。にも関わらず、この路線は1980年まで利用されていました。このように近年まで鉄道が運行されていたため、線路は撤去されることなく残されています。その一方で自然に埋もれており、廃線の趣も楽しむことができるでしょう。

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廃墟となったプラットフォーム

Zehlendorf駅は他の路線でも使われる現役の駅であるため、ベルリンのSバーンを使って訪れることができます。ここでプラットフォームに降り立つと、不思議なものが見えるでしょう。それは使われていないプラットフォーム。屋根は取り外され、鉄骨の構造だけが残されています。またプラットフォーム上には草が生えており、廃墟のような趣きさえ感じられるでしょう。そんな現在使用されているプラットフォームの目と鼻の先にある廃墟は異様な印象さえ感じさせます。廃墟や廃線好きな人にはたまらない場所かもしれません。

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木々の間に残る線路

Zehlendorf駅より先に残るのが、東西ドイツの境界だった場所まで伸びる3キロ程度の路線。そこには2つの駅があり、1980年までは人々の足となっていました。Zehlendorf駅周辺には、そんな路線の線路が自然に埋もれながらも残されています。昔と異なるのは周辺の木々が線路に覆いかぶさるように生い茂っていること。線路の横には道があり、多くの人の散歩道になっているようです。また線路の周辺は開発されておらず、線路に沿って木々が生い茂っています。そのため住宅地に生まれた細長い森と言えるかもしれません。そして今では自然を楽しめる散歩道として人々に利用されているのです。

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のどかな風景に残る鉄道遺構

線路に沿って歩くと、風景は郊外のものへと変わっていきます。周りにあった住宅地も徐々に遠くに見えるでしょう。生い茂る木々の切間を覗くと、なんと飼い葉を食む馬の姿が見えます。のどかな風景も広がっていますが、線路脇に見えるのは、そのような風景だけではありません。例えば、線路脇には鉄道に関連するコンクリート製の標識がそのまま残されています。自然に埋もれながらも、朽ちることなく残る鉄道関連のものは、ここに列車が走っていたことを強く感じさせるでしょう。

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廃墟と化した駅

線路に沿って進んでいくと草葉に覆われた構造が見えてきます。それは駅のプラットフォームの跡。わずか3キロ程度の盲腸線の中間地点にZehlendorf Süd駅があったのです。プラットフォーム部分はしっかりと残っていますが、線路があるべきところには木々が生い茂り、休止から多くの月日が流れたことを実感させてくれるでしょう。また廃墟となった小さな駅舎も残されています。他にも錆で覆われた駅標識もあり、ゆっくり自然に戻っているとはいえ、往時の姿を思い起こさせる場所となっていました。

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ベルリンの壁跡近くに残る終点駅

終点に近付くと、周辺の雰囲気は変わっていきます。木々も重なるように生い茂り、森の中を歩いているように感じられるかもしれません。そんな中で見えてくるのがDüppel駅の跡です。木々の間から見えるのは一段高くなっているプラットフォーム。住宅地から少し離れているためか、訪れる人も少なく、線路は荒れるにまかせています。プラットフォームの草木をかき分けて進むと、車止めとして使われていた部分が見えます。ここから先にも伸びていたはずの線路は、ベルリンの壁によって寸断されたのです。ここではベルリンの壁がもたらした分断を強く感じられるかもしれません。

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失われた路線の復活

ベルリンの壁によって寸断されたStammbahnですが、廃線や自然を楽しめる素晴らしい場所です。ですが、そんな状況は変わるかもしれません。なぜなら鉄道の需要が再び高まっているからです。鉄道設備が多く残されているStammbahnについて、その再活用が活発に議論されているのです。ただ再活用となれば、それは自然や廃線を楽しめる場所が失われることにもなるでしょう。いずれにせよ、Stammbahnの再利用はまだ先の話のようです。ですので、変化が訪れる前にStammbahnを訪れてみてはどうでしょうか。そこではベルリンの分断の歴史、そして廃線の趣き、そして自然を楽しめるはずです。

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